2014年6月4日水曜日

動物園と図書館 ー公共の意味を考えるー

夜中に家事をするのが日課な私が何となく付けたテレビから「動物園」についての話が聞こえてきました。番組も最後という時間帯で、まとめのコメントのような内容でしたが、語られているのは「動物園の存在意義」のようなことでした。曰く「動物園には、種の保存や生態の調査など、学術的な役割がある」という趣旨のことが語られていました。私も動物園や水族館、植物園などに行ったとき、ていねいでわかりやすい解説や生態を生かした展示方法などを見て感心することが多々あります。私の意識としては「学びに行く」のですが、すべての人が同じ意識で見に来ているとは思っていません。見に来ている人の口から「動かないからつまらない」「かわいくない」というような言葉を聞くこともあるので、動物園などに求めるものが私とは違うのだろうと想像しています。(それが悪いことだとは全く思っていません)

動物園は、維持するのが大変だということは、そこで扱われているものが「生きている動物」であることからも容易に想像ができると思います。そのために、入園料(観覧料)を徴収するというのも正しいあり方のように思います。動物園のそもそもの成り立ちが、私的で趣味的なものであったことも料金徴収に違和感がないこととつながっている気がします。しかしそのことで、単に見世物としての動物園の楽しさばかりに目が行ってしまい、商業的に成功させることが目的にされて、学術的な役割がないがしろにされてしまうのだとすれば、動物園の存在意義は大きく減少することになってしまうと思います。(その意味でも旭川市旭山動物園の取り組みは、とても画期的だったと思います)特に公共施設としての動物園には、学術的な使命を忘れないで欲しいと思います。
博物館法

同じようなことが図書館にも言えると考えています。公立図書館は「無料の貸本屋」ではありません。動物園と同じように教育の一翼を担う学術的な役割を持つ施設です。
図書館法

最近話題になっている武雄市立図書館(・歴史資料館)は、指定管理者としてTSUTAYAを運営するCCCが管理運営しています。これを動物園に例えると「ペットショップが公立動物園を管理運営する」ようなものだと思います。同じ本を扱うと言っても、その役割や意味が大きく違う企業に「公立図書館を管理運営するノウハウが有る」とは考えにくいと思います。これまで、武雄市立図書館(・歴史資料館)の問題点をじっくり見てきましたが、どうも「ペットショップに公立動物園を任せた」のと同じような間違いが起きている気がしています。
#旭山動物園的な発想で「本を生かす」なら、手前味噌かも知れませんが「フィジカル・コンピューティング(電子工作も含む)」界隈のような、「本+◯◯」というのがキーワードになる気がしています。

大切なのは、利用者の意識ではないかと考えています。動物も本も、見て楽しむ・雰囲気を楽しむことを否定しません。それを利用する私たちが、公立の動物園や図書館には学術的な役割を持っているのだということに思いを巡らし、そこで日々動物や本の世話をし、学術的な研究に貢献するよう努力をしている人々の仕事に敬意をはらって利用できるようになれば、そして、少しでも何かを学んで「ちょっと成長した自分」を感じることができるようになれば良いのではないかと思っています。

公共にはお金がかかります。使うのは税金です。特に公立学校を含む公共の教育施設は、その存在意義は認められるものの成果が見えにくく、行政にとっては「お荷物」と捉えられがちであることも理解できます。できるだけお金(税金)をかけたくない。かけたからには成果(学力向上=学力調査等の順位UPなど)を出せ。と言いたくなる気持ちもわかります。しかし、それを言わずに教育に投資し続けることができるか。日本が本当の意味で「成熟」できるかが、ここにかかっている気がしています。そして、政治家が教育を好き勝手にすることを、絶対に許してはならないと思います。