2010年12月26日日曜日

学校が広告配布に利用されている

以前、自分が主催するMLで語ったことですが、学校現場を圧迫するお仕事群の中で、納得できないことがいくつもあります。その内の一つ。「広告戦略として利用される学校」という現実があります。

学校には、様々な企業・団体から、子どもたちに関わる取り組みやキャンペーンなどのチラシや冊子、ポスターなどがやってきます。学校の教職員は、それを疑い無くせっせと配布したり貼り出したりして、子どもたちからの申し込み書や作品を回収し、場合によっては整理して表などにまとめ、作品を選考して梱包して返送するなどの対応をします。すべて「子どもたちのため」という大義名分のもと、企業や団体の宣伝活動に従事しているのです。
#「職務専念の義務」はどこへ行ったのかなぁ?

確かに、学校へ送りつければ、ほぼ確実に子どもたちの手元に届くでしょう。お金をかけてダイレクトメールを送ったり、大量の人員を動員して街頭でビラ配りをしたり、子どもが立ち寄りそうな店先などでビラを置いてもらったりという方法も考えられますが、学校へ送りつけるほど確実で金のかからない方法はありません。その意味で、企業の広告戦略として、できるだけ金をかけずに名前を売るのには最適な方法(費用対効果という点でも、利用しない手はない)だと思います。しかし、このままで本当に良いのでしょうか。

既に民間企業になった元公的機関を含めて、公私にわたってやってくる(一見広告に見えないことも含めた)広告の数々。学校内を見渡せば、広告戦略に利用されている学校の実態があちこちにあります。こんなことのために、それほど潤沢でもない教職員のリソースを食いつぶされて良いものでしょうか。本当は、もっと重要な子どもたちのケアや授業の質的向上がなおざりになってしまうのではないかと危惧します。企業や団体も、本気で子どもたちのためを思うなら、学校で足りないものを寄付したり、教職員が安心して仕事に専念できるような環境づくりのために協力すべきだと思います。利用するだけ利用して、助けようともしないという体質は、アマチュアスポーツ界の問題だけでなく、学校現場にも関わる重大な問題だと思います。

こうした学校教職員のタダ働きに対して、これまであまり問題視されてきませんでした。「学校に送っておけば先生たちが何とかするさ」というような軽い気持ちなのでしょうが、そうしたものを受け取るたびに、屈辱的な気持ちになります。さらには、配布したはずのチラシや冊子が教室や校舎の中に落ちているのを見て、こんなものさえなければ、ゴミも増えないのにと思いながら拾い集める虚しさを感じます。

もしかすると、多くの教職員はそれがあたりまえだと思っていて何の疑いもなくやっているのかもしれませんが、それを良いことに、すっかり利用されたままになっているのだということに気づく必要があると思います。

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