2010年7月11日日曜日

「教育」って難しいなぁ。でも、みんなで考えよう

最近の報道の中で、様々な分野の方々がその分野の中で、あるいは、その分野を超えて「教育」を語っているのを見て、「そんなに単純なことでもないだろうに…」と思うことがしばしばあります。私は学校教育の関係者ですから、特に学校教育に偏った話をします。

理不尽な要求をする親の問題にしても、そもそもはその親が子どもだった頃の対応に問題があったはずです。さらに言えば、その親の親への対応に問題があったのではないかと思います。それは、その時点での有効な解だったのかもしれませんが、結果的に問題を先送りしただけだったのだと思います。そして、その問題は今に続き、どんどんと複雑化してしまっています。今、この絡んだ糸を解きほぐす作業こそが、本当に求められているのです。
#日本人の「先送り体質」が仇になったのではないかと。

にもかかわらず、当時の教育関係者はそのことに思いをいたすことも少なく、多くの人は今の現状だけを見て、「今の教員は…」と批判を強めるわけです。そもそも「教育」って何ですか?「教育」によって何ができるんですか?「教員」って何をする人ですか?「学校」って何をするところですか?というようなことを、色眼鏡や思い込みなしで、個人的なノスタルジックな思い出を抜きに、はっきりとさせて行く作業が必要な気がします。(事業仕分けのように)そして最も重要なのは、この国の「学校教育」(あえて「教育」としない)をどのようにして行くのかということを大所高所から筋の通ったビジョンを描き、それを軸にして学校教育のシステム(法律などを含めて)を作り直すことだと思います。

というようなことを昨年(2009年)の1月に自分のWebサイトに書きました。
教育論議は、なぜ不毛なのか

相撲協会の不甲斐なさを嘆いたり、政治家の人材不足を嘆いたりする前に、「教育」をどうするかということを考えなければならないと思います。そして、教育の中でも重要な位置を占めている「学校教育」について、現場の声に耳を傾けて現状をしっかりと捉え直し、今現場で起きている喫緊の課題に正対し、良識ある人たちの力を結集して新たな学校教育の枠組みを構築して行かなければならないのだと思います。

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